
梅者聖也(うめはひじりなり)
この詩は梅丹本舗の創始者である初代・松本紘斉が残したものです。
このわずかな言葉のなかに、私たちはいろいろな思いを胸にします。
春まだ遠い厳寒の朝、すべての生命が土中深く眠りつづけるころ、ひとり寒風のなかに花開くその姿はただ美しいばかりではなく、なによりも生きることの意味を語りかけてくれるものです。
あらゆる辛酸も苦痛もものともせぬ忍耐心と覇気をもつこと、そしてまた潔く、気高く、生命ある限り生きぬくことの大切さを全身をもって教えてくれています。
実も花も葉も根も、そっくり私たちの生活に寄与してくれる梅、その姿が人の姿であるように映るのも当然のことかも知れません。
すべての人に生き生きと充ち足りた日々をお送りいただきたい、そんな願いをこめて毎日々々小さな一粒の実と取り組んでいます。
| 商号 | 株式会社梅丹本舗 |
|---|---|
| 創業 | 大正14(1925)年7月11日 |
| 設立 | 昭和44(1969)年11月21日 |
| 資本金 | 1,000万円 |
| 所在地 | 本社 〒649-6402 和歌山県紀の川市北勢田1088-11 |
| 代表取締役社長 | 千葉 和紀 |
| 商号 |
|---|
| 株式会社梅丹本舗 |
| 創業 |
| 大正14(1925)年7月11日 |
| 設立 |
| 昭和44(1969)年11月21日 |
| 資本金 |
| 1,000万円 |
| 所在地 |
本社 〒649-6402 和歌山県紀の川市北勢田1088-11 |
| 代表取締役社長 |
| 千葉 和紀 |

| 大正末期 | 大阪市西区古川町に「大自然食薬療法研究所」を開設。自然食と梅肉エキスの普及に奔走する |
| 昭和初期 | 「日本漢方薬品工業株式会社」を設立。梅丹の販売を開始 |
| 1950年6月 | 粒状の梅肉エキス「梅丹」を開発。 社名を「梅丹本舗」に改称 |
| 1965年7月 | 松本衛(二代目松本紘斉)、梅丹本舗を受け継ぐ |
| 1966年2月 | 和歌山県南部川村にて梅生産農家を組織し、「梅丹会」を発足。良質の青梅生産と原料の安定確保を目指す |
| 1968年11月 | 大阪府摂津市正雀4丁目に自宅兼本社を移転 |
| 1969年11月 | 「梅丹本舗」を法人に改組。資本金150万円 松本衛(二代目松本紘斉)初代社長就任 |
| 1971年 | 和歌山県日高郡南部町に紀州工場を開設 |
| 1971年4月 | 先代・松本紘斉永眠。享年87歳 |
| 1971年11月 | 松本衛、2代目松本紘斉を襲名 |
| 1973年12月 | 資本金1,200万円に増資 |
| 1974年9月 | 森惠昭氏が幻のきのこ”霊芝”の人工栽培に成功。「古梅霊芝」として発売開始 日本初の「梅干品評会」を開催(主催:梅丹会、後援:梅丹本舗) |
| 1974年12月 | 大阪府摂津市正雀4丁目に本社移転 |
| 1975年10月 | 資本金2,400万円に増資 |
| 1976年7月 | 大阪府摂津市三島3-16-53に本社新築移転 |
| 1976年9月 | 資本金4,800万円に増資 |
| 1983年2月 | CMのイメージキャラクターに歌手のイルカさんを起用 |
| 1983年11月 | 大阪・梅田にアンテナショップ「梅の店・紘斉ハウス」開設 |
| 1984年1月 | 東京出張所開設 |
| 1984年3月 | 沖縄出張所開設 |
| 1985年11月 | 吹田税務署より優良法人の表彰を受ける |
| 1986年10月 | 摂津市学園町1-1-26に本社新築移転 |
| 1990年11月 | 「古式梅肉エキス」「梅丹」「梅丹エキストラゴールド」の主力3商品が財団法人日本健康・栄養食品協会(JHFA)の認定を受ける |
| 1993年11月 | 資本金7,200万円に増資 |
| 2002年9月 | 松本紘斉、会長に就任 松本喜久一、新社長に就任 |
| 2004年11月 | 海外事業部開設 |
| 2005年1月 | 東京出張所を東京営業所に昇格 |
| 2007年1月 | プロサイクルロードレースチーム・Equipe Asada(エキップアサダ)のスポンサーとなる |
| 2008年1月 | 沖縄出張所を沖縄営業所に昇格 |
| 2009年4月 | スーパーアスリート事業部開設 |
| 2016年9月 | 本社工場完成 大阪支社開設 |
| 2019年5月 | 小林製薬(株)の100%子会社となる |
| 2024年3月 | 大阪営業所と沖縄営業所閉鎖 |
| 2025年6月 | 紀の川工場閉鎖 |







